R.I.P. 杉山 歓さん 今までありがとうございました。
2020年11月16日。
杉山歓さんがご逝去されました。
こちらではご報告と共に歓さんと私について少しお話したいと思います。
歓さんとの思い出の写真は動画にまとめさせていただきましたので、そちらをご覧ください。
動画概要欄に私と歓さんの出会いを詳しく書いてあります。
https://youtu.be/go9ZRGBBEzs
概要欄に書いてないことをここで書きます。
歓さんと出会ったのはSRaSHの前身BREAK SHOT 2の頃でした。
古めかしい雑居ビルの2Fで階段も薄暗く、ドアも木製の重たいもので、自分で言うのもなんですが入店しずらい店舗だったと思います。
そのころは常連さんが来客の殆どを占めていて上記の理由もあり、一見さんは少なかったです。
周りには徐々に漫画喫茶が出来たり、ゲームセンターがダーツマシンを置き始め、キレイだし安い!ということで見る見るうちにお客さんの数は減っていました。
勿論そこでBREAK SHOT 2を選んでもらえなかったのは自分の不甲斐なさが一番の理由です。
そんな訳で半ばふてくされてすらいた状態の頃に歓さんと仁美さんが現れました。
お話していくうちに歓さん、そして杉山家とはすぐに仲良くなれました。
どうにか自分が今出来ることは無いかと思い苦手だったSNSを始めました。
ミクシィ(懐かしい!)やtwitter。さらには何の知識もないのにホームページを作ろうと思い、近所の家電量販店でホームページビルダーを買いに行きました。(こちらは断念しましたが・・・)
よその店舗はみんなハウストーナメントを定期的にやってるからうちも何か!
と思いトーナメントを開いてもなかなか集めることが出来ずもがいていました。
当時は他店や他店のプレイヤーさんと繋がりたければ足で稼ぐ!時代でした。これも大の苦手分野でした・・・。
人が集まらずに中止にしようかななんて日でも、必ず歓さんは「楽しかったよ!」って言ってくれました。
試合に行くときや普段でも当店のユニフォームを着てくれてました。
新しいドリンクメニューを作った時は、必ず頼んでくれて「ここのが1番だ!」って言ってくれました。
杉山塾の生徒さんの誕生日には当店でダーツセットを購入してくださり、「将来これ持ってここに通えよ!」って言ってくれてました。
ある時自分が、「売上厳しくてもう店を辞めなきゃいけないかも・・・」って泣きついたら、
「ヒロ君は英語が出来るんだし人当りも良いから、空いてる時間にうちで英語を教えてくれないか!バイト代ふんぱつするからさ!」、「だからがんばれ!」
と声をかけてくれました。
書き出したらきりがないくらい歓さんは私の全てを応援してくださいました。
私だけでなく教え子さん達にとってもご家族にもとっても最高の応援団長でした。
自分のことより他人のことを優先して動く。
そんなジャンプの主人公みたいな人でした。
今まで沢山我慢してきたこともあったでしょう。
これからはゆっくり自分に時間を使ってください!
ただ最後に私に心の内を話して欲しかった。
頼りにならないけど相談して欲しかった。
いつも私のことを気にかけてくれていたのに、私はあなたに気づけなかった・・・。
それだけが心残りです。
歓さん、ごめんなさい。
いつか二人でゆっくりお酒でも飲みながら好きなことについて思いっきり語り合いましょう!!
(二人ともお酒は苦手です・・・)